所詮は無頼の外れ者

神州無頼街に狂ったしがないォタクの囀りです

ありがとう、『神州無頼街』

考察をまとめるために開設したブログだけれど、折角なのでこの昂った気持ちのまま書き殴ってみようと思う。大切な気持ちは、大切な日のうちに。

神州無頼街』がついに大千穐楽を迎えました。本当におめでとうございます。

 

何かの縁でこれを読んでくださってる方がいるかもしれないので、まず前提のお話をしておこうと思う。大した話ではないけれど。
私は誰かのファンでもなければ、劇団ファンでも無かった。表現方法の如何に関わらず、ステージは好きだ。エンタメは好きだ。今まで生きてきた中で、舞台にもそれなりに触れていた。けれど、恐らく友人に半ば強制的に(聞こえは悪いが、押しの強いォタクの全力布教が響いた例なので許してほしい)劇場に連れて行かれていなかったら、この舞台と出会うことも無かったと思う。
友人は宮野真守さんのファン、所謂マモクラだった。彼女がなにやら舞台のために大阪やら静岡へ遠征しているのは知っていた。事の発端は、彼女から来た「明日行こうか迷ってる。来る?」という連絡だった。

少し話は遡る。
3月の、あれはいつ頃だっただろうか。偶然、『髑髏城の七人』という言葉が私の目にとまった。流し見していたTLで、なぜかその単語に私は食いついた。これは確か、友人が数年前によく叫んでいたタイトルじゃないか? そう思った。なんでも、映画館で舞台の上映をするらしかった。この時の私はまだ、「ゲキ×シネ」という言葉も知らなかった。
元々、見てと言われれば割となんでも見る性分だ。けれどこの時は珍しく、自発的に「面白そうだな、行こうかな」と思っていた。自分の行ける日には『下弦の月』の上映があるらしかった。その言葉にも見覚えがあった。覚えがある、ということはこっちが宮野さんなんだろう、と思って、足を運ぶことにした。それが4月12日のことだ。

率直に、面白かった。業の煮こごりみたいなストーリーの中に、笑いや歌もある。なんなら冒頭、天魔王が踊り出した時点で「あ、これは好きなタイプの演劇だ」と思ったし、それは最後の瞬間まで覆らなかった。情緒を踏み躙られた顔をして友人に会って、「私、誰が好きだと思う?」と聞いたら「どうせ蘭兵衛だろ」と言われた。その通りだった。私はああいう男にめっぽう弱いし、彼女はそれをよく知っていた。

そんな彼女からのお誘い。2週間前に同じ脚本家の舞台を浴びた私にとって、それは魅力的だった。「正直興味はある」と返した数分後には、私の分までチケットがご用意されていた。本当に押しが強いォタクだなと思った。

「みことちゃん、絶対福士くんの役好きだよ」「やめとけ」

彼女は私のことをよく分かっていた。もちろんそれは、今回もそうだった。

黒髪長髪を靡かせながら戦う、穏やかな口調の男。青春アミーゴムーヴ(どこか凸凹、なんなら正反対な男2人が相棒になる展開を私はそう呼んでいる)の涼しい見た目の方。これだけならまだ、ただ性癖に刺さって抜けないくらいで、致命傷で済んだかもしれない。でも今回はそれでは済まなかった。
秋津永流に垣間見える、なにやらきらきらとした、純白のような人間性。草臥を見る永流、というより、宮野さんを見る福士蒼汰という男の視線の溶けっぷり。思わず友人に、「福士くん、生後何年……?」と尋ねた。年上だった。
帰ってからも、一夜明けても、私の脳裏にははっきりと福士くんの表情が残っていた。この人と芝居するのが楽しくて仕方がない、そういう顔をしていたから。気になって彼のことを調べたりもした。なるほど、『上弦の月』が彼……それが初舞台? これで舞台は3回目? 嘘だろ、あんなに板の上が似合っているのに? とかなんとか色々考えながら、色々見た。でも、どうしても、私は生で見た彼の表情が忘れられなかった。
あの目が見たい。信頼に満ちた嬉しそうな目が。
私が自らチケットを取るまで、そう時間はかからなかった。

友人に連行された連れて行ってもらったのが東京初日だったのは、こうなると分かっていた神様の粋な計らいだったのかもしれない。
気付けば私はまた富士の裾野にいた。もう一度見たらまた増やしたくなって、今度は2枚チケットが増えた。今度は人に見せたいとも思って、別の友人を誘いもした。2回、3回と見ていくうちに、ふと、不思議に思うことがあった。福士くんの演技プランが、どんどん変化しているように見えたのだ。
もちろん舞台は生きている。一度たりとも同じものは存在しない。全通経験も一応だがあったし、そのあたりは経験則としてしっかり分かっていた。でも、それどころではないのだ。ある日の永流はやけに父親のことを引き摺っていた。ある日の永流は、この男は狼蘭なのだと実感するほど怖い顔をしていた。日によって違う、どころではない。一度見て考察した秋津永流の人物像が、次に見た時には更地にされるのだ。その上、(なんと表現したらいいか分からないので、敢えて漠然とした言い方を選ぶと)良さは常に増している。「あの回が最高だったな」が、常に更新されていく。そのことに、私はとんでもなく興奮を覚えた。好き勝手考えるのが好きな私に、この人の芝居は絶対に正解をくれない。どれほど丁寧に解釈を積み上げていっても、絶対にそれを壊される。彼にとってそれは、積み木を崩すよりも造作ないことだったんだと思う。

楽しくて仕方がなくて、またチケットを増やした。そんなある日だった。
物語のクライマックス、というだけできっとお分かりであろうあの場面を見ていた時、不意に、それまで見てきた“色々な永流”が繋がった瞬間があった。永流は、ピュアなだけでもなければ、父親の影に囚われているだけでも、狼蘭なだけでもない。全部が永流で、この男はそれを表現しようとしている。否、永流になろうとしている、と肌が理解した。
恐ろしい、と思った。私は秋津永流という男に、“秋津永流”の影と“福士蒼汰”の影を見ていたから。いつの間にか後者が息を潜めるようになったのが、怖くてたまらなかった。

それと同時に、たまらないと思った。気付いた時にはもう、全身に毒が回るかの如く、福士蒼汰さんのことが好きになっていたのだ。

それからもチケットは増えた。気付けば、誘ってくれた友人の観劇回数を超えていた。「上弦を知らなきゃ、満月は見られない」なんて気持ち悪いこと宣って、『上弦の月』も見た。すっかり狼蘭にも魅せられて、『蛮幽鬼』に苦しみ、『シレンとラギ』に叫んだ。それから見た無頼街は、なんだかもう、ただ舞台を見ているだけとは言えないほどの感情の渦に叩き込まれたような心地だった。
息を潜めていた福士さんの気配はいつしかとぷりとその影に溶けてしまって、板の上に立つ“秋津永流”に会いに行くような気分で足を運ぶようになった。永流が変われば草臥も変わる。永流が巻き起こす、切なくも激しい感情の風が、舞台上全てを巻き込んでいった。でも誰一人振り落とされない。振り落とされてくれない。呼応し、色が増していく。その中央にはいつも福士さんがいた。相変わらず、宮野さんの目を嬉しそうに見る福士さんが。

次第に、このカンパニーが描く道の果てが気になってしまった。幸運にもその最後の瞬間を見届ける権利を得た私は、目が眩むほどの日本晴れに照らされたブリリアホールへ足を運んだ。
そこで目にしたものは、どんな言葉を用いても言い足りないくらいのものだった。全員が、確かにそこで生きていた。それぞれの人生を。色々な永流が見えた。全ての要素が永流を語ってくれた。あんなに命を燃やしてくれたから、寂しいけれど、どこか“大千穐楽を終えたんだ”って納得しているのかもしれない。
お誕生日祝いも、最後かもしれないエア煎餅撒きも、突然天魔王が誕生したかと思ったらW捨之介を浴びることになって阿鼻叫喚したことも思い出深い。本当に記憶がすっ飛ぶところだった。口上の瞬間、福士くんの笑い方が一瞬で変わったものだから。本当にそういうところだぞ。好きだ。

私は板の上の福士さんしか知らない。それさえも知っているというには烏滸がましいと思う。けれど、こんなに0番が映える役者を見たことがない、と思った。この人が板の上に立つ姿を、もっと、もっと見ていたいとも思った。推し、と呼ぶのはなんとなく柄じゃない気がするけれど。強いて言うならば、たからもの、かもしれない。(そんなことを言うのも十二分に柄じゃないが)
福士さんの隣に宮野さんが居てよかったし、宮野さんの隣に福士さんが居てよかった。とびきり嬉しそうな「マモちゃん!」の声が、またいつか聞けたらいいな。

本当に、本当にお疲れ様でした。ありがとう。